『クレアモントホテル』を読んで、老後の物哀しさを想像してみる |
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2015年 12月 11日
『クレアモントホテル』、読了。夫に先立たれた70代半ばの英国女性が余生を過ごすため、ロンドンの外れにあるホテルに滞在する日々をつづった物語。
膨大な時間を前に茫然としたり、身体的な衰えが日々進むことに不安になったり。イメージしてる老後に近くて、その物哀しさがしみじみ心に沁みた。今まで生きた年数と同じだけ生きたら、彼女と近い年齢に私もなる そのときどんな風に感じるんだろう できれば生が終わるその瞬間まで、身体が自由であるといいんだけど どこでどんなふうに、そのときを迎えるんだろうか。 イギリスで一般的な話なのかどうかわからないけれど、この小説のなかで、クレアモントホテルは長期滞在者向けのプランを用意してある(他の多くのロンドンのホテルも同様らしい)。そのプランを活用するのは、だいたい彼女のような、資金に限りがあるが、自宅でひとり住まいをするよりも、ホテルで誰かと一緒に時間を過ごすことを選ぶ、老人たち。彼らは、短期滞在者が気に入らないだろう、いい眺めや日当たりに恵まれない部屋を割り当てられ、代わり映えしないメニューの朝食や夕食を出される。支配人にも、ちょっと疎ましいお客として、ややぞんざいに扱われている。そして、ルールは、日常生活を自分で送れなくなったら、ホテルを去らなくてはいけない、ということ。彼らはこのホテルの次に自分が行くことになるのが養護施設で、そこで人生の最期を迎えることを知っている。 小説では、クレアモントホテルに長期滞在する4〜5人の老人たちの人間関係と、主人公である女性と、彼女がほのかな恋心をいただいている、偶然知り合った若者との関係が、淡々とつづられている。 後者に関しては、いくつになってもときめきというか、日々の張り合いになるような異性の存在というのはうれしいものなんだろうなあとすごくよく理解できるのだけど、前者に関しては、自分だったらどうだろうか?というのがよくわからない。この4〜5人の老人たちは互いに敬意や関心を抱いているというよりは、仕方なく一緒の時間を過ごしている、というように見える。たとえば自分が夫に先立たれたとき(私自身は先にいって、夫や家族に看取られたいなあと思っているけれど。さみしいから。でもだいたいは女性が長生きしてしまうものかなあ。。)、ひとりでいることと、積極的に関わりたい相手ではないけれどもひとりではないこと、どちらを選びたいか。10年前だったら、威勢良く「それならひとりのがマシでしょ!」なんて言い切ってしまっていそうだけれども、今だったらどうだろう。。? 今と老後を迎える数十年後で決定的にちがうのは、身体的な自由さ。今ならささっと電車、なんなら飛行機に乗って、会いたい人に会いに行くことができる。でも、きっと老後は、経済的、身体的に、いまよりずっと自由度が限られてくるんじゃないだろうか。時間はもっとあるんだろうけど。私が最近ご近所友達をより欲しているのは、そういう老後への不安ていうのも大いにある気がする。いまだって、確実に以前よりもフットワークが重くなっているし。。。汗 考えても仕方ないかもしれないけれど、最近よく老後について考える。で、なるべくありたい老後を送るには、今どんな風に時間を過ごしたらいいか、なんてこともぼんやり考える。そんなわけで、今読んでる『眺めのいい部屋売ります』も、ニューヨークに住む70代の老夫婦の話。
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by moriyumi0721
| 2015-12-11 17:00
| 本
2015年 12月 09日
ついに、さきほどソウル行き航空券を無事購入!年始にソウルに行ってきま〜す!!!ありがたいことに友人宅にも泊めてもらえることになり、1週間ほど滞在予定。た、たのしみすぎる。。。
さて、先日友人に会ってきて、興味ふかい話が盛りだくさんだったので、メモ。 ⚪︎幼稚園で1週間に1度あった、「なんでも好きなことをしていい日」 彼女はとても意思が強い人。わたしが彼女と出会った場も、友人が主催した英語ワークショップの場でだったんだけど、「英語はずっと苦手で目の上のたんこぶ的存在だったから、やってやろうと思って」英語学習を2年ほど自分でやってきた、とそのとき話してくれたのがとても印象的だった。仕事がない日は1日6時間ぐらい勉強してた、と。 あれこれ話を聞いているなかで、彼女は「幼い頃から自分はどういう人間か、どういうことが向いているか、将来どうなりたいか、について考えてきた」と話してくれたので、「そのきっかけとなるような経験てある?」と聞くと、幼稚園での話をしてくれた。 彼女の幼稚園では、週に1度「なんでも好きなことをしていい日」という時間があって、彼女はその時間が大好きだったそう。お料理の部屋、工作の部屋、などがあって、そのなかでは包丁とか、工具も使わせてもらえた、とのこと。 どこかユニークだったり、おお!と思わせられる人は、その人がその人になるような経験を持っていることが多くて、私はそういう話を聞くのがとても好き(この記事にも書いた→"What makes you different?")。彼女にとってはこの経験がそうだったのかもしれないなあと思っていると、もうひとつ、ずっと覚えていることがあるそう。 ⚪︎小学校2〜3年のときに言われた父親の言葉 彼女が小学校2〜3年くらいのとき。両親は仕事に家庭事情によりいそがしく、当時の彼女のは妹や従兄弟にくらべて、自分が両親にかまってもらえないと感じ、そのことを父親に訴えたそう。すると彼女の父親はこう答えた。 「おまえは恵まれている。住む家もある、食べ物もある、五体満足だ。そういう恵まれた状況にあって、おまえは将来、どうやって社会に貢献できるか、考えなくちゃいけない」 その言葉を聞いて、「自分は何ができるんだろう。将来どうやって生きていけばいいんだろう」と彼女は考え始めた、とのこと。この「社会に貢献」というの、おはずかしながら私は最近意識したばかり。。。彼女は幼い頃からずっとこの言葉を覚えていて、いつも意識していた、とのこと。なんたる差!!!汗 ⚪︎きらいなことはやってみる もうひとつ驚いたのが、「きらいだな、いやだな、と思うことはやってみる」という彼女の考え方。彼女いわく、「どうでもいいことは「無関心」ていうゾーンに入るはずなのに、なにかをきらい、ということは、きらいと思うだけでエネルギーを使っている。そんなことにエネルギーを使うのはもったいないから、きらいなことはやってみることにする」。 たとえば20代でまだOLをしていたころ、なにかうまくいかないな〜という時期にあって、その状況を打開するために、当時一番やりたくないマラソンに挑戦したとのこと。それまで身体を鍛えたこともなかったのに、決めてからは毎日10キロ走り、ジムに通い、平坦な道がない山道だらけのハーフマラソンを制限時間内に完走したらしい。すごすぎる。。。 そうやって「きらいなこと」をやってみることを重ねていくとだんだん「きらいないこと」リストが減っていき、「やればなんとかなる」っていう感覚も身につく。そういう風に「やったみたいこと」「きらいなこと」をやってみることを続けてきて、最近はむしろそういうことがなくなってしまったので、ここらへんでちょっとやりかたを変えなくては、と考えているそう。 ⚪︎きらいなことをやる、あるいはなにかを続けるための工夫 面白かったのは、きらいなことをやるため、あるいはなにかを続けるためのの工夫。彼女はタスク管理アプリを使っていて、たとえば苦手な家事や、毎日の筋トレは5分間だけやる、というのをリスト化しているそう。それで、その5分間は好きな音楽をかけて、できるだけその5分間で終わらせるようにする。そうやって時間を区切ると、ゲーム感覚でアドレナリンがでて、時間内にやるぞ、というモードになる。 これ、私も今日からさっそく導入して、朝一番に部屋を可能な限り綺麗な状態にするっていうのを始めてみた。整理された部屋がいい精神状態で時間を過ごすために私にとっては必要、と思ったので。 他にも、フリーの身での1日の過ごし方なんかもとっても参考になったのだけど、ちょっと長くなってきたので、またあらためて書こうと思います。はー、たのしかった。こうやって思える人と時間を過ごせるって本当に幸せ。
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by moriyumi0721
| 2015-12-09 12:51
| 人
2015年 12月 08日
ここ1ヶ月で、3箇所の学童の見学・説明会に行ってきて、昨日は英語学童を見てきた。先日の別の説明会で知り合ったママに聞いて知って、あとから同じ保育園の子も通うことを知り、俄然興味を持っていた先。 民間で価格も高いので(週1で14,000円、週5だと59,000円。英語学童的には知らないけど、他の学童と比べると2〜3倍以上)、メインの先とかけもちで週1〜2回行かせてもいいかな、うちもついに習い事デビューか!?なんて楽しみにしていたのに、30分ちょっと見学をして、「う〜ん。。。」とテンションがガタ落ちに。そのあと担当の方の話を聞いて、プログラム内容などの説明を受けて、終了。 で、なんかもや〜っとしたままさっそく英語教育のプロである友人の寧々さん(寧々さんはこんな人)にぶちぶち言ってたら(専門は海外大学進学)、いつもながらの彼女の的確なコメントを受けながら説明していたら、自分が何にひっかかえっていたのか、すごくクリアになった。 私が気になったのは、そこにいた小学生の子たちの態度。一応、学童内は英語でっていうルールにはなっているけれども、みんな、基本、日本語。 「あれ、なんていうんだっけ?なんていうんだっけ?」 「えーとね。。。」 「えー、わかんなーい」 ひとりだけ、ストレートに英語で受け答えしたり、他の子たちに教えてあげたりっていう女の子がいたのだけど、その子以外、ぐだぐだ。その子たちは春から通っているらしいので、「8ヶ月通って、これ???」というのが第一印象。そして、英語が出てこないことそのものよりも、その態度がひっかかった。私と息子が見学していた、というのも多少あるのかもしれない。でも、あきらかに恥ずかしがってて、その恥ずかしさをああいうぐだぐだな態度でごまかしている、その感じがいやだった。特に、これまで私は息子の環境しか見てこなかったので、英語でも歌でも、先生にたいして子供たちが元気一杯堂々と答えている姿が頭にあって、そのギャップにびっくり。 で、「小学生になるとああいう照れが出てきちゃうのか。。」とちょっとがっかりしてしまった。できないこと自体は恥ずかしいことじゃない。でもできないことをああやってごまかすのはかっこうわるい。。 でもこれに対しても、友人はぴしり。 「まだ小さいのに、みんなの前で失敗するのが怖いからふざけるんでしょ」 「でもそれは子供のせいじゃなくてさ」 「その場を仕切る大人が怖がらずに思い切ってやってそれが評価される空気を作らなかったからいけんのでしょう」 「で、「そこが微妙だった」という評価は正しくて、その場のファシリテーターのスキルが低いとそういうのが蔓延します」 「だから、同じ子供を、もっとパワフルでもっと肯定的なファシリテーターのいる場に放り込んでごらん」 「15分くらいでノリノリかもしれないよ」 なるほど!!!そう言われてみると、私自身がまずその英語の先生に対して惹かれなかったっていうのを思い出した。子供たちも、懐いていないわけではないだろうけれども、敬意や憧れ、先生が好き〜みたいな気持ちは伝わってこなかった(これはもちろん30分じゃわからないことかもしれないけれど)。それから、子供たちへの接し方もあまり感銘を受けず。 ファシリテーターという言葉で思い出したのが、以前勤めていた会社で新規ビジネス提案プロジェクトに参加したとき、会社側の相談役としていらした方。ファシリテーション能力がとにかく高くて、その人と話しているとやたらわくわくして、やる気が出てくる。基本的にはこちらのアイディアのいいところをまず指摘してくれたうえで、どうしたらもっとよくなれるか、を考えるヒントをくれて。その人がいる場だと、その雰囲気がつねにポジティブだったのをすごくよく覚えている。 教育ってやっぱり人なんだなあ。。。とあらためて痛感。と同時に、「この人!」と思える教育者との出会いがいかに大事か。 振り返ってみると、私にとってその最初の場は、大学受験の塾だった。どの先生も大好きで心から尊敬していたし、授業も面白く、仲間にも恵まれて、塾がたのしくてたのしくて仕方なかった。あそこでは、努力をして、成果をあげることが、すごくいいこととされていた。ああやってふざけて自分ができないのをごまかしてる子なんてちっともいなくて。やっぱりあそこもいい先生が率先して、そういういい場を作ってくれていたんだろうな、と。 というわけで、とりあえずその英語学童はやめておいて、何か考えようと思います。でも見学にいったおかげで、大きな学びを得たので、行ってよかった。 #
by moriyumi0721
| 2015-12-08 06:53
| 育児
2015年 12月 06日
12月1週目も終わり、もうあと3週間ちょっとで2015年も終わり!今朝無事お直しに出していたカーテンも届き(いままで寒かった。。)、今週中に追加工事も終える予定で、落ち着いて新居で年末年始を迎えられそうで、うれしいかぎり。引っ越したばかりで大掃除は必要なさそうだけど、まだちょっとごちゃっとしているところを、年内にはすっきりさせておきたい。
それにしても、ありがたいことにチラホラ忘年会のお誘いもいただき、なんとなくせわしないような雰囲気になってきて、これぞまさに、年末感!!!去年は帰国したてで年末をたのしむ余裕ゼロだったから、今年はひさしぶりにこの感覚を味わうことができて、ちょっとうれしい。韓国では旧正月を祝う風習で、年末年始は見事になにもなく、それがさみしかったので。普段テレビ見ないのに、いまだに大晦日は律儀に?紅白見ちゃうので(そのあとのゆく年来る年もしっかり見てる)、今年は年越し蕎麦も用意して、お正月にはお節も食べて、日本らしい年末年始を楽しみたいと思います。大昔に習ったレシピひっぱりだして、お節もちょっと作ってみようかな。
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by moriyumi0721
| 2015-12-06 16:42
| 横浜生活
2015年 12月 06日
近々保育園でイベントがあるので、ここ1ヶ月半くらい、親子ともに練習に励んでいる。子供たちは保育園で、父母は週末どちらかどこかに集まって、練習。
うちの保育園は他と比べて、父母にわりと多くの関わりを求めるらしい。人によってはちょっとめんどうかもしれないその仕組み。でもそのおかげで、この地域にもともとまったく知り合いがいなかった私でも、保育園のママたちと顔馴染みになり、ちょっとした会話を交わせるような関係性をスムーズに築くことができた。ありがたいな、と感じている。 子供を産む前と今、もっと正確にいうとここ3年ぐらいで変わったことなのだけど、子供を介した人間関係に対して、ものすごくポジティブな見方をするようになった。たぶん1番ネガティブに捉えていたのが妊娠中で、「ママ友」なるものにまつわるあらゆるネガティブな話題ばかりに目がいって、「ママ友」=「ものすごくめんどうで、厄介で、でも子供のために離れられない関係性」だとか、「だからなるべく距離をおいて、関わりすぎず、つかずはなれずを保つべし」だとか、そんなイメージばっかりもっていた。 結婚してすぐ住んでいた地域は、実質1年ちょっとしかいなかったのが大きいけれども、妊娠中も出産後も親しくなる相手はいなくて、でも全然気にせず、そんなもんだろうと思っていた。 ソウルに引っ越してからは、さらに「駐妻同士はいろいろたいへんらしい」みたいなネガティブイメージを持っていたので、渡韓後すぐに子供の集まりで知り合ったひとたちの間では最初ものすごく気をはっていたし、警戒モードだった(我ながらいやなやつ。。汗)。 でも、そんな中で、すごく親しくなれた人がいて。最初はもっぱら彼女とばかり一緒にいたのだけど、彼女を通して、少しずつ子供を含めたお付き合いの人間関係が広がり始めて、「あれ、なんかすごく居心地いい」と気づいてから、ちょっとずつ変わっていった。人間関係ってつくづく相互的だなと思うのだけど、こちらがオープンになると、相手も応えてくれる、というのを、その時期にすごく実感した。 子供を含めたお付き合いをすると、まず子供が喜ぶのが嬉しい。夫が仕事で夜遅いとき、ふたりでのんびり夕食も気楽でいいけれど、友人親子を招いてみんなで夕食にすると、息子はいつもすごく嬉しそうで、大はしゃぎ。そうなると、子供は子供同士遊んでくれるので、ママ同士おしゃべりすることができて、ママも嬉しい。私は育児情報にもんのすご〜く疎いし、ぼうっとしていてお知らせを見逃すのもしょっちゅうなので、そういう意味でもママ友にはいつもたすけてもらっている(私よりダメな母ってあんまり会ったことない、そういえば。。。汗)。ソウルだと特にお料理上手なママばかりだったので、レシピを教えてもらったり。 週末に家族ぐるみでお付き合いをするとなると、家族のありかた、夫婦の関係性、子供との関わり方がみんなちがうので、それも面白い。子供に接する顔は、大人同士でいるときの顔とちがうので、それも興味深い。ここも私は子供との関わり方がヘタなので、みんなから学ばせてもらったり。 そんなわけで、今ではすっかり家族ぐるみのお付き合いが大好き。学童も、父母の関わりが多いところがいいな〜などと考えながら選ぼうとしていたり。人って変わるものだなあ。。 #
by moriyumi0721
| 2015-12-06 07:51
| 育児
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