2015年 04月 28日
よしもとばなな『もしもし下北沢』 |
先日書店で文庫を見かけ、購入。かなりうしろのほうまで読み進めて、すでに単行本で読んでいたことを思い出した(よくある。。)。
ミュージシャンの父親が、家族の知らない女性の無理心中に巻き込まれ、突然亡くなってしまう。下北沢に引っ越し、徒歩1分のビストロで働き始めた娘と、家族で住んだ目黒のマンションを出て、下北沢のアパートに居候を始めた母親が、自分たちの生活を必死に送っていく話。
よしもとばななの小説には、死を扱う作品がとても多い。今回のような理不尽な巻き込まれ方をした結果の死だったり、自殺だったり、病死だったり。あるいは、主人公が何らかの身体的・精神的傷を負っていたり。そういう人生の場面に、人がどう感じるか、反応するか、時間と共にどう変化していくか。そこで、よしもとさんは時間が過ぎていくこと、それから心より身体が先に生活に順応していくこと、を信じているように感じる。今回でいえば、初めて母親と娘がまともな食事をして、美味しいと感じられたこと、それから、母娘ともにそれぞれ異なるお店で働き出し、身体を使う仕事を始めたことが、大事な変換点として、描かれている。
身体を重要視しているという意味でも、よしもとさんの小説には、「食べること」に力点が置かれている作品も多い。主人公も、飲食店を営んでいたり、そこで働いていたり。作り手の哲学にそってきちと作られた料理を味わって食べる、というシーンも多い。この「作り手の哲学にそって」というのもポイントで、ここに関しては飲食店だけではなくて、その人自身が前面に出ているようなお店づくりをしている人も多く登場する。
身体を重視する、というのは私も出産前後からすごく意識するようになっていて、さらにこの「作り手の顔が見える」(こういう表現をすると途端に安っぽくなっちゃうんだけど。。。)というのもとてもしっくりくるので、ここらへんもよしもとさんの作品を信用している理由なんだと思う。
私は気に入った作家さんを長く愛する読み手なので、理由もわからずとにかく好きで作品を読み続けていて、何年も経ったあとで、その理由がぼんやりと見えてきたりすることは多い。そういうときは「やっぱり。。」となんとなく納得したような気分になる。でもまあ理由なんてわかってもわからなくてもよくて、好きな作家さんを沢山持てること自体が、とても幸せなことだと思う。
by moriyumi0721
| 2015-04-28 10:16
| 本