2014年 10月 03日
石川直樹『最後の冒険家』 |
またちょっと現実逃避で本を読んでしまった。。。たぶん夫が買ったもので、本棚にあった一冊。本の好みが偏ってるので、あまり読んだことないジャンルはついつい億劫になってしまうのだけど、開高健ノンフィクション賞受賞作ということで、手に取ってみた。
この本は、2008年に自作の熱気球での太平洋横断に二度目の挑戦をし、そのまま消息を絶った神田道夫という冒険家のことをつづったノンフィクション作品。筆者は神田さんの2004年の挑戦のときに一緒に飛んだパートナー。初回のときも飛行がうまくいかず、気球は海上に落ち、筆者は死を覚悟したらしい。そのときは奇跡的に近くを航海していたコンテナ船に救助され、九死に一生を得た、とのこと。その後二週間かけてアメリカのロスアンジェルスまでその船で運んでもらい、空路で日本まで帰国したらしい。神田さんはその挑戦の失敗直後からすぐに次の挑戦の計画を練り始め、しかもそれは筆者の眼からすると初回のリスクを上回る危険なものだったため、筆者は二回目の挑戦時に一緒に飛ぶことを断ったという。
初回の挑戦時の海上墜落時の描写は、その文章を追うだけでひやっとするような、足元がぐらりと揺らぐような恐怖を感じて、私には冒険に挑む彼らの心情があまりに自分と遠いところにある、と思う気持ちが強かった。特に神田さんは緻密な計算を練り上げてリスクを減らしていくというよりは、もちろん冒険に挑む以上それは最大限に行いつつも、身体的な勘や感覚にすぐれ、そこを根拠にどんどん進んでいくようなタイプだったと筆者は述べており、その身体性にまったく自信がない私にとっては、ただただ圧倒されるばかり、というか。
なので、私は神田さんをシンプルにすごい。。とは思うものの、感情的にぐっと共感するところまではいかず、むしろ、彼の奥さんにより関心を抱いた。神田さんは、家族からも、熱気球の仲間からも、「言い出したら聞かないタイプ」と見られていた、とのこと。次第に熱気球にのめりこみ、危険度がより高い冒険に挑んでいく神田さんに対して、「止めても耳を貸さないから」と、奥さんは毎回反対することもせず、送り出していたという。奥さんについての描写はそんなに多くはなかったので、実際には彼女がどんな心情でいたのかはそこまで伝わってこなかったのが、少々残念だった。私自身はそうやって受けいれるタイプからは程遠いので、そこのところをもっと深く知りたくて、もう少しつっこんで欲しかったな、と若干物足りない気持ちに。たぶん筆者自身も冒険家なので、送り出す側にはそこまで関心がなかったのかな、と思ったり。
それから、筆者自身が、最後の冒険に挑む神田さんを見送ったときも、どういう風に感じたのか。そして、その後神田さんが消息を絶ったとわかったとき、数年後に、初回の挑戦のときの熱気球の残骸が海辺に乗り上げていたとの知らせを受け、実際にそこに行き、内部を調べたとき、それから、この作品を書いている間中、どんな気持ちでいたのか。作品中ではさらっとしか触れられていなかったが、一度はともに命を懸けて冒険をした神田さんに対して、その最後の冒険に自身が参加しないという判断をしたことについて、きっと筆舌に尽くしがたい、深い深い、感情がずっと続いているんだと思う。
そういえば、ドリカムが歌う『ONE PIECE』の主題歌で、「またね」という歌があるのだけど、それは冒険に出る主人公を送り出す側の心情が描かれていて、すごく好きな歌。相手の冒険を応援してあげたいけれども、そばにいられなくなるさみしさや悲しさが抑えられなくて、何も言えなくて、ただただ「またね」という言葉を繰り返してしまう、でも、そこにこめられた気持ちは、ひたすら前を向いて進もうとしている相手には届かないだろうな、というような歌詞が、なんだかぐっと心にきてしまって。私はいままで冒険というほどのことはしていないけれども、でも何かを始めようと意気揚々としているとき、たとえばイギリス留学に発ったときとか、両親はこういう気持ちだったのかなあとか、将来、私もこういう気持ちで、息子を送り出すのかなあ、とか、いろいろ思いながら聴いたりして。
そんなわけで、たまには違うジャンルの本を読んでみるのもいいかなと思った次第です。
この本は、2008年に自作の熱気球での太平洋横断に二度目の挑戦をし、そのまま消息を絶った神田道夫という冒険家のことをつづったノンフィクション作品。筆者は神田さんの2004年の挑戦のときに一緒に飛んだパートナー。初回のときも飛行がうまくいかず、気球は海上に落ち、筆者は死を覚悟したらしい。そのときは奇跡的に近くを航海していたコンテナ船に救助され、九死に一生を得た、とのこと。その後二週間かけてアメリカのロスアンジェルスまでその船で運んでもらい、空路で日本まで帰国したらしい。神田さんはその挑戦の失敗直後からすぐに次の挑戦の計画を練り始め、しかもそれは筆者の眼からすると初回のリスクを上回る危険なものだったため、筆者は二回目の挑戦時に一緒に飛ぶことを断ったという。
初回の挑戦時の海上墜落時の描写は、その文章を追うだけでひやっとするような、足元がぐらりと揺らぐような恐怖を感じて、私には冒険に挑む彼らの心情があまりに自分と遠いところにある、と思う気持ちが強かった。特に神田さんは緻密な計算を練り上げてリスクを減らしていくというよりは、もちろん冒険に挑む以上それは最大限に行いつつも、身体的な勘や感覚にすぐれ、そこを根拠にどんどん進んでいくようなタイプだったと筆者は述べており、その身体性にまったく自信がない私にとっては、ただただ圧倒されるばかり、というか。
なので、私は神田さんをシンプルにすごい。。とは思うものの、感情的にぐっと共感するところまではいかず、むしろ、彼の奥さんにより関心を抱いた。神田さんは、家族からも、熱気球の仲間からも、「言い出したら聞かないタイプ」と見られていた、とのこと。次第に熱気球にのめりこみ、危険度がより高い冒険に挑んでいく神田さんに対して、「止めても耳を貸さないから」と、奥さんは毎回反対することもせず、送り出していたという。奥さんについての描写はそんなに多くはなかったので、実際には彼女がどんな心情でいたのかはそこまで伝わってこなかったのが、少々残念だった。私自身はそうやって受けいれるタイプからは程遠いので、そこのところをもっと深く知りたくて、もう少しつっこんで欲しかったな、と若干物足りない気持ちに。たぶん筆者自身も冒険家なので、送り出す側にはそこまで関心がなかったのかな、と思ったり。
それから、筆者自身が、最後の冒険に挑む神田さんを見送ったときも、どういう風に感じたのか。そして、その後神田さんが消息を絶ったとわかったとき、数年後に、初回の挑戦のときの熱気球の残骸が海辺に乗り上げていたとの知らせを受け、実際にそこに行き、内部を調べたとき、それから、この作品を書いている間中、どんな気持ちでいたのか。作品中ではさらっとしか触れられていなかったが、一度はともに命を懸けて冒険をした神田さんに対して、その最後の冒険に自身が参加しないという判断をしたことについて、きっと筆舌に尽くしがたい、深い深い、感情がずっと続いているんだと思う。
そういえば、ドリカムが歌う『ONE PIECE』の主題歌で、「またね」という歌があるのだけど、それは冒険に出る主人公を送り出す側の心情が描かれていて、すごく好きな歌。相手の冒険を応援してあげたいけれども、そばにいられなくなるさみしさや悲しさが抑えられなくて、何も言えなくて、ただただ「またね」という言葉を繰り返してしまう、でも、そこにこめられた気持ちは、ひたすら前を向いて進もうとしている相手には届かないだろうな、というような歌詞が、なんだかぐっと心にきてしまって。私はいままで冒険というほどのことはしていないけれども、でも何かを始めようと意気揚々としているとき、たとえばイギリス留学に発ったときとか、両親はこういう気持ちだったのかなあとか、将来、私もこういう気持ちで、息子を送り出すのかなあ、とか、いろいろ思いながら聴いたりして。
そんなわけで、たまには違うジャンルの本を読んでみるのもいいかなと思った次第です。
by moriyumi0721
| 2014-10-03 10:54
| 本