2011年 07月 30日
『日本のソーシャルメディアの未来』を読んで |
『日本ソーシャルメディアの未来』(濱野智史、佐々木博著)を読みました。
これは2010年8月に行われたセミナーを書籍化したもの。
前半は情報社会論が専門の濱野氏のレクチャー、後半からは参加者およびtwitterのコメントを
交えたディスカッションという構成。
レクチャー自体はあれこれ専門知識や用語を使って説明しているものの、
私と同年代(30前半)であれば、感覚的に理解していることがほとんどじゃないかと。
ちなみに私は中高大と東京の学校に通っていますが、
周囲では中学でポケベル、高校でPHS(一部携帯?)、大学で携帯とパソコンを
それぞれデビューした人がほとんどといった環境です。
ソーシャルメディアでいうと、私はブログ、mixi、facebook、twitterの順で始めていて、
限られた交際範囲だけで見てみるとブログは数名、mixiとfacebookは3分の1〜半数くらい、
twitterは5分の1ぐらいが利用している印象(かなりざっくりですが。。)。
レクチャーの内容はざっくりこんな感じ↓
-------------------------------------------------------------------------------
これまでは人の集合体としてのありかたは
①コミュニティ(共同社会、日本でいうところのムラ社会)と
②ソサエティ(都市、市場、国民国家)の2種類しか存在しなかった。
①コミュニティは地域共同体や家族共同体といったような狭くてローカルな範囲の人間集団を
指し、どこに属するかを自由意志で選択することはできず、その条件を引き受けるしかない。
長期的に安定した同じ時間を共有する人間関係が多い。
それに対して②ソサエティは広範囲の場所に沢山の見知らぬ人が集まっている場所であり、
個人の自由意志でどの「社会集団」に入るかを選択でき、入ったり出たりするのも自由。
短期的かつ流動的な人間関係が多い。
そういった社会学的な前提の上で、「インターネットはコミュニティとソサイエティの両方が
入り交じっている」というのが濱野氏の結論。
「ネット上ではこれまでの人類がなしえてこなかったようなレベルで、「同じ時間を共有する」
ということをすごく簡単に、手軽なコストでできるようになってきている」と。
-------------------------------------------------------------------------------
とまあここまではわざわざレクチャーを受けなくてもというか言語化しなくても
みんなが感覚としてわかっているような内容だと思うのだけれど、
後半のディスカッションの中で「日本の学校における『クラス』が若者をムラ社会に
最適化する」というくだりがあって、これも言われるとそれはそうだなと思いつつ、
ちょっと新鮮な驚きでした。
その中で山岸俊男さんという社会心理学者の著書が引用され、
「アメリカは信頼社会で、日本は安心社会」という考え方が紹介されていました。
-------------------------------------------------------------------------------
①信頼社会
アメリカは社会の流動性が高く、見知らぬ人と会う機会が多い。だから、まず初めて
会った見知らぬ人であっても、とりあえず信頼しないと始まらない。
まずは相手を信頼して、その代わりに契約などでがちがちに固めて、約束を破ったら
信頼しないようにする。
そのように個人ベースで相手を信頼できるかどうかを判断していく社会のことを、
「信頼社会」と呼ぶ。
②安心社会
これに対し、日本では長期的に同じ関係にいるかどうかが大事。
「長期的に付き合って、情がわいてくれば裏切らないだろう」という信頼の仕方をする。
たとえば学校だったら「同じクラスで一致団結して、仲がいい時間を過ごしました。
だからみんな一生の友達です」というような。
ただ、これは結局人を信用しているというよりは場を信用しているのに近い。
このように、共同体全体を一括で信頼しているだけであり、
個人をひとりずつ信頼できるかどうかを見ているわけではない社会のことを、
「安心社会」と呼ぶ。
-------------------------------------------------------------------------------
上記の前提の上で、ディスカッションでは山岸氏の以下の主張を紹介。
「日本はこれまで『たまたま流動性がなくてもやっていけた社会』だっただけで、
(学校のクラス制度、卒業後は企業への終身雇用など)
これからは「グローバル化の波を受けて必然的に流動化していくのだとすれば、
コミュニティ型の『安心社会』からソサエティ型の『信頼社会』に変わっていく
必要がある」
そして、「日本がどんどん流動化していくのであれば、学校制度もガラリと変えて、
小学生ぐらいからコミュニティを自由に選択するとか、ソサエティ型の人間関係に
慣れていく必要があるだろうし、そちら側に自然と移行していくべきだろう」云々と
続いていきます。
ここらへんを読みながら思い出したのが、私自身の大学入学直後の経験。
私は中高一貫の学校に通っていて、6年間同じメンバーとどっぷり濃密な時間を
過ごしたあと、大学に進学しました。
私の母校はマンモス校で、新入生だけでも全体で1万人、同じ学部でも1千人といった規模。
かつ私の学部は一年生は専修にわかれず一般教養を学ぶというシステムだったため、
それまでの学校でいうところの「クラス」的な場所がまったくありませんでした。
なので、大学入学以降サークルという新しい「クラス」を発見するまで、
「クラス」に慣れきっていた私はかなり精神的に不安定だったように思います。
上記のコミュニティとソサイエティでいうと、大学というソサイエティに戸惑い、
結局またサークルというコミュニティに居場所を求めてしまったというような。
その後、在学中の短期・長期の留学、就職、転職などを経て、いろいろな場所での
いろいろな人間関係を経験し、自分なりの人間関係の築き方を作り上げてきた
わけだけれども、それはまさに「ソサエティ型の人間関係に慣れていく」過程
だったのかなあと、改めて思いました。
私の場合、あくまで家族やごく親しい人たちとの固定的な人間関係があってこそだけれども、
それでも、流動的な人間関係に慣れてからのほうが人との出会いや付き合いを
肩肘張らずに楽しめるようになったという自覚があります。
コミュニティというのは、どうしてもどうしても独自の価値観が作られてしまうので、
そこにどっぷり浸ると無自覚に排他的になるし、浸れないと息苦しいという弊害が
できてしまうと思うので、がっつりとコミットするコミュニティは確保しておいて、
その他に関しては合わなかったら合わなかったでいいやぐらいの適当さを担保しつつ、
いくつものコミュニティを覗き見ることで、ありきたりの表現になってしまうけれども、
世の中にはいろんな考えがあって、いろんな人がいるっていう感覚を保ち続けるのが
いいバランスなのかなと思います。
と、ソーシャルメディアからはどんどん遠ざかったところで、いったん終わりにします。
これは2010年8月に行われたセミナーを書籍化したもの。
前半は情報社会論が専門の濱野氏のレクチャー、後半からは参加者およびtwitterのコメントを
交えたディスカッションという構成。
レクチャー自体はあれこれ専門知識や用語を使って説明しているものの、
私と同年代(30前半)であれば、感覚的に理解していることがほとんどじゃないかと。
ちなみに私は中高大と東京の学校に通っていますが、
周囲では中学でポケベル、高校でPHS(一部携帯?)、大学で携帯とパソコンを
それぞれデビューした人がほとんどといった環境です。
ソーシャルメディアでいうと、私はブログ、mixi、facebook、twitterの順で始めていて、
限られた交際範囲だけで見てみるとブログは数名、mixiとfacebookは3分の1〜半数くらい、
twitterは5分の1ぐらいが利用している印象(かなりざっくりですが。。)。
レクチャーの内容はざっくりこんな感じ↓
-------------------------------------------------------------------------------
これまでは人の集合体としてのありかたは
①コミュニティ(共同社会、日本でいうところのムラ社会)と
②ソサエティ(都市、市場、国民国家)の2種類しか存在しなかった。
①コミュニティは地域共同体や家族共同体といったような狭くてローカルな範囲の人間集団を
指し、どこに属するかを自由意志で選択することはできず、その条件を引き受けるしかない。
長期的に安定した同じ時間を共有する人間関係が多い。
それに対して②ソサエティは広範囲の場所に沢山の見知らぬ人が集まっている場所であり、
個人の自由意志でどの「社会集団」に入るかを選択でき、入ったり出たりするのも自由。
短期的かつ流動的な人間関係が多い。
そういった社会学的な前提の上で、「インターネットはコミュニティとソサイエティの両方が
入り交じっている」というのが濱野氏の結論。
「ネット上ではこれまでの人類がなしえてこなかったようなレベルで、「同じ時間を共有する」
ということをすごく簡単に、手軽なコストでできるようになってきている」と。
-------------------------------------------------------------------------------
とまあここまではわざわざレクチャーを受けなくてもというか言語化しなくても
みんなが感覚としてわかっているような内容だと思うのだけれど、
後半のディスカッションの中で「日本の学校における『クラス』が若者をムラ社会に
最適化する」というくだりがあって、これも言われるとそれはそうだなと思いつつ、
ちょっと新鮮な驚きでした。
その中で山岸俊男さんという社会心理学者の著書が引用され、
「アメリカは信頼社会で、日本は安心社会」という考え方が紹介されていました。
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①信頼社会
アメリカは社会の流動性が高く、見知らぬ人と会う機会が多い。だから、まず初めて
会った見知らぬ人であっても、とりあえず信頼しないと始まらない。
まずは相手を信頼して、その代わりに契約などでがちがちに固めて、約束を破ったら
信頼しないようにする。
そのように個人ベースで相手を信頼できるかどうかを判断していく社会のことを、
「信頼社会」と呼ぶ。
②安心社会
これに対し、日本では長期的に同じ関係にいるかどうかが大事。
「長期的に付き合って、情がわいてくれば裏切らないだろう」という信頼の仕方をする。
たとえば学校だったら「同じクラスで一致団結して、仲がいい時間を過ごしました。
だからみんな一生の友達です」というような。
ただ、これは結局人を信用しているというよりは場を信用しているのに近い。
このように、共同体全体を一括で信頼しているだけであり、
個人をひとりずつ信頼できるかどうかを見ているわけではない社会のことを、
「安心社会」と呼ぶ。
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上記の前提の上で、ディスカッションでは山岸氏の以下の主張を紹介。
「日本はこれまで『たまたま流動性がなくてもやっていけた社会』だっただけで、
(学校のクラス制度、卒業後は企業への終身雇用など)
これからは「グローバル化の波を受けて必然的に流動化していくのだとすれば、
コミュニティ型の『安心社会』からソサエティ型の『信頼社会』に変わっていく
必要がある」
そして、「日本がどんどん流動化していくのであれば、学校制度もガラリと変えて、
小学生ぐらいからコミュニティを自由に選択するとか、ソサエティ型の人間関係に
慣れていく必要があるだろうし、そちら側に自然と移行していくべきだろう」云々と
続いていきます。
ここらへんを読みながら思い出したのが、私自身の大学入学直後の経験。
私は中高一貫の学校に通っていて、6年間同じメンバーとどっぷり濃密な時間を
過ごしたあと、大学に進学しました。
私の母校はマンモス校で、新入生だけでも全体で1万人、同じ学部でも1千人といった規模。
かつ私の学部は一年生は専修にわかれず一般教養を学ぶというシステムだったため、
それまでの学校でいうところの「クラス」的な場所がまったくありませんでした。
なので、大学入学以降サークルという新しい「クラス」を発見するまで、
「クラス」に慣れきっていた私はかなり精神的に不安定だったように思います。
上記のコミュニティとソサイエティでいうと、大学というソサイエティに戸惑い、
結局またサークルというコミュニティに居場所を求めてしまったというような。
その後、在学中の短期・長期の留学、就職、転職などを経て、いろいろな場所での
いろいろな人間関係を経験し、自分なりの人間関係の築き方を作り上げてきた
わけだけれども、それはまさに「ソサエティ型の人間関係に慣れていく」過程
だったのかなあと、改めて思いました。
私の場合、あくまで家族やごく親しい人たちとの固定的な人間関係があってこそだけれども、
それでも、流動的な人間関係に慣れてからのほうが人との出会いや付き合いを
肩肘張らずに楽しめるようになったという自覚があります。
コミュニティというのは、どうしてもどうしても独自の価値観が作られてしまうので、
そこにどっぷり浸ると無自覚に排他的になるし、浸れないと息苦しいという弊害が
できてしまうと思うので、がっつりとコミットするコミュニティは確保しておいて、
その他に関しては合わなかったら合わなかったでいいやぐらいの適当さを担保しつつ、
いくつものコミュニティを覗き見ることで、ありきたりの表現になってしまうけれども、
世の中にはいろんな考えがあって、いろんな人がいるっていう感覚を保ち続けるのが
いいバランスなのかなと思います。
と、ソーシャルメディアからはどんどん遠ざかったところで、いったん終わりにします。
by moriyumi0721
| 2011-07-30 22:50
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